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山梨県印判用品卸商工業協同組合
経済産業大臣指定 甲州手彫印章
印章の歴史
  およそ6000年前、
メソポタミア地方で…
  中国で開花
  中国から日本へ…、そして…
  一方、ヨーロッパでは…
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印章の歴史

およそ6000年前、メソポタミア地方で…


 印章の歴史は実に六千年におよびその発祥は、紀元前四千年前、メソポタミヤ文明(現在のイラク地方、世界で最初に生まれた文明)とされています。それは円筒印章と呼ばれるもので、円筒形の石や骨などの側面に絵や文字を刻み、それを粘土の上をころがして使用するものであったと考えられています。その目的は、認証という目的以外に、円筒印章は中心にひもを通して首に懸けるようになっており、これを身につけているのが高い地位だったらしく、権威と権力を示す意味もあったと言われています。


中国で開花…

中国で開花…

 メソポタミヤ文明で発祥した印章は、エジプト文明へ、また、インダス・中国文明へと伝播し、特に中国では最も発達した形で使われるようになります。
中国では今から約2,200年前、秦の時代、始皇帝が中国の統一を果たし度量衡を定め、文字の統一を行い(篆書体(てんしょたい)が作られ)、官印の制度(印章制度)を定め、印章も篆書体で彫刻されて、以来今日もその基本になっています。  ところで何故「印章」というのか…、それは皇帝の使う印章に「璽」の文字を使い、臣下の使う官印や私印を「印」、丞相や大将軍の印を「章」と呼びました。それから「印」と「章」を合わせて「印章」と呼ばれるようになりました。


中国から日本へ…、そして…


 漢時代に更に印章が盛んになり、皇帝から官吏や将軍に信証の具として授けられ、また諸国の王にも贈られました。天明四年(1784)福岡県志賀島で出土した「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印(国宝)も、後漢の光武帝より授けられたものです。中国で発達した印章は、飛鳥時代に聖徳太子による大化の改新後、遣隋使を通じて中国の様々な文化と共に日本へ渡来しました。そして大宝元年(701)大宝律令が制定され併せて印章制度が定められ、官印が中央政府により鋳造され、国内に頒布されることとなりました。書体は篆書、隷書のいずれとも異なる独自のもので、まさしく倭古印体の起こりと呼ぶにふさわしいものでした。

印章の歴史 印章の歴史
「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印


 外国との交易が盛んに行われるようになった鎌倉時代に入りますと、中国(宋)から渡来してきた禅僧たちの影響を受けるかたちで、落款印(書画への印)、筆者印などが流行し、戦国時代に入りますと印章はさらに新しい展開を見せ、武将たちが印文に趣向をこらし、権力や威厳を表現しようとしました。 江戸時代には明人により篆刻の技法が伝えられました。この時代、行政機構の整備による文書制度の確立や、商業の発達による帳簿類の整備などにより、印章の使用が習慣化してきたことにより印章は庶民にまで普及しました。さまざまな証文に使用される印章は実印と呼ばれ、それに基づいて印鑑帳が作製され、必要に応じて照合できるようにされていました。現在の印鑑登録の原型と言えるものであります。 明治時代に入って、認印、実印が広く用いられるようになり、明治六年七月、太政官布告で「実印」の原則が定まり、登録制度が制定され、同年十月一日より実施されました。これが「十月一日印章の日」の始まりです。明治政府は律令時代の官印の制度を復活させる一方、欧米の習慣に倣って自署(サイン)の制度を導入しようとしましたが、結果的には失敗に終わり、署名よりも印章を重んじる習慣が定着しました。


一方、ヨーロッパでは…


 ヨーロッパにおいても、古代ローマの時代に奴隷までもが印章を使用していたと言われ、その使用目的は財産の保全のためであり、貴重品に封印をするためでした。しかし、十五世紀ころから自署による署名が使用されるようになり、次第に印章よりも署名が信用力を持つようになりました。それでも信書の封緘には印章が使用され続けましたが、この習慣も王室、貴族の没落を迎えた第一次世界大戦をもって見られなくなりました。

 

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